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ASEAN鉱物資源データベース-アジアの資源地質情報の整備事例
大久保泰邦(産業技術総合研究所)
1.ASEAN鉱物資源データベースシステム

 ASEANは金属・非金属鉱物資源に恵まれており、鉱物資源開発は経済発展の鍵となっている。しかし、未だ探査、開発が不十分な状況で、資源開発に係る紛争などのさまざまなリスクや、法制度や社会体制に不確実性があるなどの理由で、外国資本も参入しにくい。 そこでこの課題に対処するためにASEANは以下のアクションプランを立て鉱物資源開発を促進している。

  • 鉱物資源の貿易・投資の円滑化と促進
  • 鉱物資源の環境的、社会的持続性の促進
  • ASEAN地域の組織能力と人材能力の向上

 ASEAN鉱物資源情報システムのプロジェクトは、このアクションプランの一環として開始された。ASEANが一致団結して鉱物資源情報の透明性を高め、海外からの資金誘致を行うことを第一目的としている。データはASEAN各国によって2007年から整備・公開された。

 しかしGISの開発には多額の経費がかかるため、購入、維持が高額になる。ASEAN+3の鉱物資源関係の会合であるASEAN鉱物高級事務レベル会合(ASOMM)+3で、ASEAN各国から日本へオープンソースを使ったシステムの構築のための技術支援の依頼があった。これを日本政府(代表は経済産業省)が合意し、支援するに至った。

 産業技術総合研究所地質分野(以下GSJ)は、この支援のためOGCが提供するオープンソースを使って、経費の掛からないシステムを構築した。このことによって、ユーザが無料でシステムを使えるだけでなく、システム提供者側も無料でシステムの構築や更新が可能となり、最新のバージョン、機能を無料で使える環境ができあがった。これによって、富める国でも貧しい国でもどこからでも、インターネットが通じていれば、以前は高価であったGISをアクセスすることができこととなった。

 この新しいWeb GISに関する研修を、2011年から2012年にかけて、3回、日本が主催して開催した。シンガポールを除くASEAN9か国から延べ約100名のGISの専門家が参加した。

 その結果、各国におけるデータベースの構築とWeb GISが完成し、2013年11月に正式に鉱物資源データベースとして公開されることとなった。現在、以下のサイトからアクセスすることができる。

http://asomm.psdg.bgl.esdm.go.id/asomm/index.php

▲ASEAN鉱物資源大臣級会合における鉱物資源データベースシステムの開始式。ASEAN首脳が握手をして世界に情報発信を開始した。(2013年11月28日撮影)


2.シームレス地質図

 シームレス地質図は、鉱物資源情報データベースの基礎データとして重要な意味を持つ。ASEANでは、タイとマレーシア、マレーシアとインドネシア、タイとラオスなど2国間でシームレス地質図作業が進められている。そこで2013年11月に開催されたASOMM+3において、タイ政府はASEANシームレス地質図プロジェクトを提案した。計画は、2014年から3年間にわたり、シームレス地質図を作成するものである。

 GSJはCCOPのDCGMプロジェクトやOne Geologyを推進してきた経験とASEAN鉱物資源情報システムの経験から、提案の中で協力機関となることが要請された。これまでに、CCOPの年次総会、管理理事会、CCOP主催の会合などで数回にわたって議論した。その議論の内容は以下の通りである。

  • 地質図編集はいくつかの露頭調査から地質モデルを作り、図化する作業である。凡例はそのモデルの属性を述べるものである。地質図編集はそれぞれの国でそれぞれの判断で編集しているので、地質図の凡例はそれぞれ国で異なり、また境界付近では不連続となる。
  • シームレス地質図を作成するのであれば、凡例の統一を行う必要がある。その場合各国が作成した凡例を変更ことが必要になるかもそれない。この場合時として、モデルそのものの変更が必要になる。この作業はその国全体の地質モデルの変更にも繋がる。そうなれば、現地調査など大変な作業になりかねない。
  • 3年でASEAN全体のシームレス化をしようとするのであれば、この作業は避ける必要がある。

 ここで脇田浩二氏の提案であるが、一つの考えが浮かんだ。それは、各国の凡例をなるべく生かすことである。そうすると実際には多くの時代区分、岩相区分を使ったたくさんの地質ユニットが出来上がる。統一凡例の案はこのようにして作成された。

 しかし境界付近ではやはり不連続になる。

 下図はミヤンマーとタイの数値地質図を使って繋ぎ合せた地質編集図である。国境付近は不連続となっている。この理由は、国境付近のアクセスが悪く、特にミヤンマー側の地質図の精度が悪いためである。

▲ミヤンマーとタイの地質図を繋ぎ合せた作業用編集図。

 この問題を解決する手段としては以下が考えられる。

  • 二国間の現地地質調査
  • 多国間の現地地質調査
  • 人工衛星画像解析
  • 二国間・多国間の専門家による討論
  • 第三者を交えた研究協力

 下の写真は、ラオスにおいて、ラオスとタイの地質専門家による討論の様子である。中央で高橋浩氏(産総研)が仲裁役をしている。この討論はすでに行った二国間の現地地質調査の結果を踏まえて行われたものである。問題点を洗い出し、その解決方法を議論した。結果、二か国の凡例をほとんど変更せずに、シームレス化は出来そうなことが分かった。

▲ラオスとタイによるシームレス地質図の討論の様子。中央は高橋浩氏(産総研)。2014年6月11日撮影。

 しかし地雷のためにアクセスが難しい場所がある。タイ、ラオス、中国との国境付近は山岳地域で、カチン州、シャン州、カレン州が位置する。ここはキリスト教徒が多く、中央の軍事政権と紛争が続いていた。現在は平和が戻ったが、山奥は今でも地雷が埋まっており、危険である。タイ側の土地には地雷が埋まっていないので、現在安全な場所での共同調査を検討中である。


3.ASEANの様子
ワークショップでは

 鉱物資源データベース作りは、情報技術である。ASEANのいくつかの国は情報技術の専門家が少なく、インターネットなどの情報インフラも十分でない。

 カンボジアで開催されたワークショップでは、インターネットが完備されていなかった。しかしたまたま隣のビルがインターネットのプロバイダーであったため、ビルとビルを結ぶケーブルを引いてワークショップの時だけ一時的にインターネットを幸いにも引くことができた。

▲カンボジアにおけるワークショップでは一時的に隣のビルのプロバイダーとケーブルで繋いでインターネットを設置した。2014年5月28日撮影。

 フィリピンでは、セッションは始める前に、リフレッシュのため参加者全員で軽い運動を行った。中にはワークショップよりもこちらの方が楽しいとの声もあった。

▲フィリピンでは、セッションは始める前に、リフレッシュのため参加者全員で軽い運動を行った。2014年4月30日撮影。

 ベトナムでは、昼からベトナム製の強い焼酎で乾杯をした。どうやらカウンターパートのリーダーが酒好きのようで、毎日昼、この催しが始まる。乾杯の号令がかかると、杯を飲み干さなければならない。これから講義をしなければならないので、飲み方を教わった。一つは焼酎をグラスにほんのちょっと注いで乾杯をするやり方である。それでも酔いそうであれば、こっそり水を注いでおくやり方である。

▲ベトナムでは昼食で乾杯。2014年6月26日撮影。

 しかし午後は皆けろりとして講義を受けていた。

国境とは

 タイ北部のミヤンマーに接する地域に行った。下の写真はタイ側からミヤンマーの方向を撮ったものである。タイ側は塹壕が張りめぐらされている。その向こうには有刺鉄線の壁があり、さらにその先は中間地帯である。ミヤンマー側に見える丘の上には見張り台がある。ここは戦場のようである。

▲国境には有刺鉄線の壁があり、その手前は戦闘用の塹壕で向こう側は中間地帯。丘の上にはミヤンマー側の見張り台がある。2014年3月6日撮影。

 一方下の写真は、ラオスとタイの国境である。川はメコン川であり、両国の国境となっている。ラオスの国旗が映っていることから分かる通り、ラオス側から撮ったものである。

▲ラオスとタイの国境。メコン川が国境となっている。2014年6月10日撮影。

 この国境には何も警備が無い。なぜなのだろうか。もちろんラオスとタイは友好関係にあると聞く。しかしそれだけではないと思った。つまり川は明白な国境なのである。それに対し、陸の上の国境は明白でない。そこで厳重な監視体制が必要になると考えた。これは地政学の原点なのであろう。

 メコン川について、タイの研究者が人工衛星画像解析から、その流路の変遷を解析した。下の図はメコン川の変遷を表す。左から右へと移動したと主張する。つまりタイの国土が広がっているということか。しかし何百年も何千年も前のことである。このことから、この地域に住む人々は、国家という意識が明確でない時代には、メコン川を挟んで共存をしていたのだろうと想像できる。

▲人工衛星画像解析によるラオスとタイの国境となっているメコン川の流路の変遷モデル(Kitti KHAOWISET, 2013)。

ミヤンマーの金鉱山

 下の写真は、ミヤンマーの第二の都市、マンダレーから数十キロメートル北上したところにある小規模金鉱山である。ここでは露天掘りであった。ショベルカーで山を切り崩し、その後と人力で大きな石を割って小さくし、その石を集め、選鉱場に運ぶという作業である。落石防止にはビニール製の天井を設けている。しかし危険すぎて日本では許されないであろう。

▲石をハンマーで砕き、小さくなった鉱石を集める。2014年3月14日撮影。

▲集めた鉱石を頭に載せて運ぶ。2014年3月14日撮影。

 別の金鉱山では坑道掘りであった。坑道の深さは200メートルにも達する。下の写真は坑内で掘り出した鉱石を巻き上げ機で地上に上げている様子である。

▲鉱石が上がって来る。2014年3月15日撮影。

▲鉱石を地上まで上げたところ。2014年3月15日撮影。

 坑道は数か所稼働しており、それぞれの坑内には数人の人が働いている。地上グループと合わせて1坑道20人程度で、3交代で働いているとのことである。

 下の写真は監視室の様子である。坑内にはカメラが設置され、坑内の様子がモニター画面に映し出されている。

▲監視室。2014年3月15日撮影。

 地上に上げた鉱石は粉砕機で粉砕された後、選鉱される。

▲選鉱場の様子。2014年3月15日撮影。

 見学の後、鉱山のオーナーの家で昼食を摂った。下の写真はその部屋の様子である。現場との違いの大きさに唖然とした。

▲鉱山のオーナーの家。2014年3月15日撮影。

 下の写真は坑道の断面図である。

▲坑道の断面図。2014年3 月15日撮影。

 ここの鉱山は1985年から開発が開始された。現在の従業員は全部で約300人で、1日50トンの鉱石を産出する。鉱脈はほぼ南北に伸び、大きさ南北方向450メートル、東西方向1.5メートル、深さは約250メートルである。また金の品位は5ppmである。以上より資源量を試算すると以下である。

鉱量168750m3(体積)、5.06 ×105 ton
2.5ton、112億円相当
採掘期間27年
年間の金生産量4.2億円/年
一人当たりの収入138万円/人

 一人当たり138万円はこの地域にとってはかなりの高収入である。しかしこの収入のほとんどはオーナーの懐に入るはずである。事実労働者一人あたりの収入1か月あたり100-150ドルとのことである。

 下の写真は建設骨材を運ぶ中国製のトラックである。エンジンも、燃料タンクも剥き出しである。しかし動いている。ここで気付くことは、ここではこの仕様で十分だということである。とにかく安い。また故障をすれば自分たちで修理をする。そこで思うのであるが、もし日本製のトラックを持ってきたらどうであろうか。おそらく高いであろう。つまり日本製のトラックはここではオーバースペックになっているということである。

▲建設骨材を運び中国製トラック。2014年3 月14日撮影。

ゴールデントライアングル

 下の写真はタイ最北部の山岳民族の村である。ここでは現在お茶やイチゴなどの栽培がおこなわれている。しかしここはかつてけし栽培地であった。中国の国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊がタイ、ラオス、ミヤンマーの国境地帯に侵入し、捲土重来を期して軍事費稼ぎのためにアヘン栽培を行った。この地は後にゴールデントライアングルと呼ばれるようになった。タイ政府はこのアヘン栽培から他の産業に変えるために国王農業プロジェクトを開始し、付加価値の高い農産物の生産に成功したのである。

▲タイ北部の山岳民族の村。2014年3月6日撮影。

▲国王農業プロジェクトで作られた茶畑。2014年3月6日撮影。

▲この地に広く栽培していたけしの花。2014年3月6日撮影。

イラワジ川のダム計画

 中国資本援助による北部カチン州のイラワジ川上流のダム建設プロジェクトが計画されていた。

 このダム建設プロジェクトによって、ミャンマーの水源と自然生態系が傷つけられ、現地住民は強制移住させられる。建設に関わるのはほとんどが中国人で、しかも生産された電力の9割は中国へ送電される。この不平等な条件により、ミャンマー国民と、アウンサン・スーチー氏をはじめとする民主活動家や有識者が計画中断を訴えていた。

 2011年11月、ミャンマーのテイン・セイン大統領は「国民の意に反する」として中断を発表した。

▲ミヤンマーの中央を流れるイラワジ川。2014年3月13日撮影。

世界に開放されたミヤンマー

 2013年4月に初めて訪れる以前は、ビザを取ることが難しく、なかなかミヤンマーを訪問することができなかった。現在は開放政策に切り替えた。そのお蔭でここ数年我々も渡航できるようになった。私は2014年9月までにすでに5回ミヤンマーを訪問した。

 すでにいくつかの航空会社の飛行機がミヤンマーの国内を飛んでいる。多くはプロペラ機であるが、新しくて綺麗でキャビンアデンダンスも若い。下の写真は、たまたまマンダレーからヤンゴンに向かう飛行機の中で会ったミヤンマー女性である。彼女は日本語を流暢に話すことができ、日本人を相手にしたツアーコンダクターであった。この日も日本人の団体客とともにヤンゴンに帰る途中であった。これはだれでもミヤンマーを訪れることができるようになった証である。

▲マンダレーからヤンゴンの飛行機で会ったミヤンマー女性。2014年3月17日撮影。