広島での伊能忠敬没後200年記念行事の1つとして見学会を行った。この見学会は、広島大学総合博物館での企画展示(8月21日〜9月29日)、広島市内での講演会(9月15日)と一連の行事として実施された。同時期に開催されていた広島県立歴史博物館での企画展「日本人の地図づくり」を見学し、日本の地図づくりの歴史を学び、その中での伊能図の位置を確認するとともに、実際の地図を見学した。県立博物館で十分に地図などを堪能してから、伊能亡き後、伊能忠敬の内弟子筆頭で、全日本沿海輿地全図の完成に尽力した箱田良助の生誕の地である福山市神辺を訪れた。

日 程

2018年9月16日(日)7:30〜18:00

参加者

24名(男性14名、女性7名)+ 世話人1名

案内者

淺野敏久(広島大学総合博物館)

 前日の広島市内での講演会から引き続きの見学会なので、広島駅から出発した。7時30分に広島駅を貸切バスで出発し、7月の豪雨で山陽本線が不通であった西条駅で追加の参加者を拾い、福山市にある県立歴史博物館に向かった。7月豪雨による被害で、広島—西条間は山陽本線が復旧したばかりで、福山方面にはこの時点では不通のままであった。福山から合流する参加者と博物館玄関前で合流し、午前10時少し前に博物館に入館した。

▲博物館入口と企画展の立看板

 広島県立歴史博物館では7月19日から9月24日まで企画展「初公開!世界を驚かせた日本人の地図づくり―行基図から伊能図まで―」を開催していた。同博物館は、福山市出身で元メリルリンチ日本証券会長である守屋壽氏が30年以上かけて収集した、国内外の古地図資料(守屋壽コレクション)の寄託を受けていることで知られ、それを用いた企画展を折々に開催している。見学会参加者は、久下実主任学芸員によるレクチャーを事前に受けた後に、企画展示を見学した。久下学芸員からは、伊能図に至る近世の日本図について、実際の展示資料に基づく詳しい解説、展示中の伊能図について特徴や注目すべき点等を教えていただいた。企画展の会場では、行基図屏風や、松浦静山識日本輿地図(享保日本図)、従尾張国至蝦夷北極出地度量図(文化元年伊能図の写本・東日本図)など、近世・近代の日本地図の推移を追うことのできる資料や、多くの来館者が足をとめる安芸国絵図など興味深い展示を目にすることができた。

▲久下学芸員の講義

 昼食を各自でとった後、13時に同博物館を発ち、箱田良助生誕の地の碑を見学した。箱田良助は、伊能忠敬の筆頭内弟子であり、伊能忠敬没後に高橋景保のもとで完成された大図作成に貢献した人物である。備後安那郡箱田村に生まれ、17歳で江戸に出て伊能忠敬に師事した。九州の測量に向かう第七次測量から調査に同行した。彼は地図完成後、榎本家の養子となった。明治政府の要職を歴任し、東京地学協会の創立に関わった榎本武揚の実父でもある。

 「箱田良介生誕之地」の碑は、宅地化が進みつつある郊外農村地域、大きな古民家の前に静かに立っている。参加者等は碑を前にして、広島県立歴史博物館の岡野将士主任学芸員の説明を聞きながら、伊能忠敬、箱田良助、そして江戸後期の著名な儒学者であった菅茶山とのつながりについて思いをめぐらせた。

▲「箱田良助誕生之地」碑

 次に一行は、同じく神辺地区にある菅茶山の開いた廉塾と、神辺の本陣を訪れた。保存会の方々にあえて開けてもらった古民家を見学しつつ、菅茶山と伊能忠敬の間にどのような交流があったのだろうかなどと想像をめぐらせた。

▲廉塾前広場で解説を聞く
▲本陣で記念写真

 現地を16時前に出発し出発、福山駅、広島空港、西条駅と参加者を降ろしながら見学会を無事に終えた。